拗らせ女の恋愛遍歴 学生時代編〜当時は自分が拗らせだとは思ってなかった

今回の記事は私の恋愛遍歴についてです。

アセクなのに恋愛?と思われる方はこの記事は読まない方がお互いの為かもしれません。

人が沢山登場するのでアルファベットで呼んでいますが、別にイニシャルという訳ではありません。

 

この記事、書くのにかなり苦労しました。大学生の頃に恋愛絡みで凄く惨めな思いをしまして、もう立ち直ったつもりで居ましたが、当時の出来事等を詳細に思い出すと、辛かった気持ちまで思い出してしまい、何度も涙を流しては記事を書く手が止まりました。

 

話は私の中学時代まで遡ります。

 中学生といえば、女子が何かと色気づきだして、「〇〇カッコイイ」「〇〇優しくて好き!」と騒ぎ始める頃だと思います。少なくとも私の同級生達はそうでした。そんな中で「ときめくってどういう感情だ?」「恋愛的な意味で好きってそれ以外の好きと何が違うんだ?」と首を傾げながら彼女らを見ていました。毎日毎日同じ話をしててよくあんなに楽しそうにしていられるなー、みたいな。

最初はそれで良かったのですが、段々「私達の秘密は聞くのに、ダリアの秘密は明かさないのズルい」と言って私抜きでそういう話をするようになりまして。毎日。

明かさないも何も無いんだから仕方ないと主張しても「好きな人を作らないのが悪い」と言われまして。「作る?あなた達のその感情は自然に出来てきたものではなく意識して作ってる物なの?」混乱は深まります。今にして思えば、彼女らは「恋に恋する」という状態だったのだと思います。

混乱は解消されないままでしたが、仲間外れにされない為には恋という物をしないといけないという状況だけは理解しました。で、身の回りに居る男子で「交際したら楽しそうなのは誰か」と考えて思いついた相手が、別の中学の、塾で一緒のTでした。サラサラヘアーが可愛かった事は覚えています。

なぜ別の学校の男子になったかと言いますと、何故か私、同級生やんちゃ(笑)な男子達に「からかっておもちゃにして良い対象」と見なされていた節がありまして。それを知っている男子はみんな私の事を見下していると思っていました。そんな私が彼らの目の届く所で好きな人なんか作ろうものなら、即座に嘲笑の対象になると思ったからです。「キモいわー」「無いわー」と聞こえるように言われるに決まっています。それに私のせいでTまで悪く言われるようになるのは明らかで、それは流石に耐えられないと思いました。

めでたく女子から仲間外れにされる事はなくなりました。彼女らの輪に入って「〇〇カッコイイ」「××好きー」と騒いでるうちに私も楽しくなってしまいまして。で、忘れもしない中学2年の2月。バレンタイン。

「告白しないのー?」「あんた可愛いから絶対大丈夫だよー」みたいな会話が飛び交います。今にして思えば、相手に一度親切にしてもらっただけの接点しかない子も居て、何が大丈夫なのか謎ですが。「みんなお菓子作って告白しようね!」という方向で話は纏まりました。

生まれて初めてお菓子なんか作りましたよ。クッキー焼いただけですが。可愛くラッピングしてラブレターを添えて、塾終わりの近所の書店で立ち読みしてる事は知っていたので、そこで渡しました。

バレンタインが終わって「どうだった?」という話になると、何とびっくり。私以外全員渡せていませんでした。うわー、だったら私も告白なんかしなきゃよかったーと頭を抱えるも後の祭り。

一ヶ月後のホワイトデーで塾に行くと、Tがそっと黄色い包みを渡してきました。当然ラブレターへのお返事も入っていまして

 

できちゃったよ、彼氏( Д ) ﻌﻌﻌﻌ⊙ ⊙

 

ただ、塾の男子に私に彼氏が居ると知られるとやんちゃ(笑)な男子達が何だかんだとうるさいのは明らかだったので、Tに頼んで付き合っている事は隠してもらいました。別の学校に通っていて、しかも接点である塾でも隠す…会話なんかするタイミング有りませんでしたよね…

高校に進学して二人とも電車通学になった時には「駅でばったり会う機会が出来るかも」と思ったのですが、反対方向で、しかも私は六時半の電車に乗る遠距離通学…そんな都合のいい事は起きないと悟った私はTに交際を続けても良いのか聞きました(Tが他の女の子に惹かれた時に、ロクに会ってない私が束縛してしまう事はおかしいと思ったのです。)答えは「お互いに不満がないならいいんじゃないか」とのこと。そのまま交際は何と高校を卒業するまで続きました。一度も会わずに。

今にして思えば、デートの一つでもすれば良かったのですが、遠距離通学で部活もしてて、土曜にも予備校に授業を受けに行っていたので、そんな時間はありませんでした。

高校を卒業して独り暮らしを始めた場所が私は埼玉、Tは東北。「今まではお互いに女子校、男子校だったからまだいいけれど、これを続けるのはお互いの人生の為に良くない」と思いそう伝えた所、「じゃぁ別れようか」とあっさり言われ、そのままお別れしました。Tとはそれ以降連絡を取っていません。別にケンカ別れした訳じゃないけれど、用事もなかったので。これが大学1年の4月でした。

 

そんな訳で彼氏は中学生の頃には居た訳ですが、交際を始めた経緯がこんな有様だったので、初恋と言われて思い浮かべる相手は別に居ます。

Tと別れた2ヶ月後くらいに知り合った大学の軽音サークルの先輩のRさんです。学部6年目の、サークルの中でも長老的な立場の人でした。当時私は19歳になる直前、Rさんは25歳でした。

具体的な話は省くとして、彼の話を沢山聞いたり、サークルの後輩たちから慕われる姿を見ているうちに、私がそれまで漠然と抱いていた「理想の大人」に近い要素を沢山持っていると感じました。「どういう考え方や経験をしたらこういう大人になれるのだろうか」という興味から、「もっと色んな話を聞きたい」と思うようになり、凄く懐きました。自分で犬を思い浮かべるレベルで懐いていました。

Rさんはよく「卒業」というワードをよく口にしていたため、「卒業してしまう前に可能な限りお話を聞いて、見習える所は見習って、吸収出来る事は全部吸収したい」と思っていました。多分この頃から周囲には「ダリアはRさんが(恋愛的な意味で)好き」だと思われていたのだろうと思いますが、私の中のRさんへの感情はあくまで尊敬と憧れでした。人間として大好きでしたけど、それはサークルの他のメンバも同じです。

恋心を自覚したのは11月の文化祭の前後ですが、夏くらいから「仮にこの人に恋をしたら自分でもびっくりするくらい大好きになるだろう」とは思っていました。というのも、結婚観の話をしたときに、「この人と結婚する女性は凄く幸せだ」と相手の女性がすごく羨ましいと思ったからです。同時にRさんにとって自分が恋愛・性欲の対象にはなり得ない事も分かっていたので、「好きになっちゃ駄目だぞ」と自分に言い聞かせていました。Rさんは「(恋愛的な遊びはもう十分したから)次に交際するのは結婚を考えられる相手」「それ以外と付き合うとしたらお互いに遊びだと割り切れる相手」と公言していたし、Rさんのそういう対象になるには自分はお子ちゃま過ぎるとちゃんと分っていました。今にして思えばRさんは私の事を「異性」という目線ではなく「後輩の一人」という目線で捉えていてくれたから、安心して慕って居られたのでしょう。

夏の合宿が終って、季節が冬に向かっていくにつれてRさんの卒業が近付いて来ている事を考えるようになり、もっと話を沢山聞きたい焦りやら寂しさやら残念な気持ちやらでずっともやもやしていました。「一緒に居る時間がもっと沢山有ればいいのに…( ´•ω•)」ともやもやの正体を言語化できた瞬間に「あ、もう駄目だ」と思いました。「もう誤魔化せない、Rさんの事好きだ」と自分で納得するとスッキリしたのを覚えています。自覚と同時に失恋が確定した訳ですが、それに関して別段悲しいとか悔しいとかいう感情は抱きませんでした。まぁそういう物だよな、と。

この段階ではRさんに気持ちを伝えるつもりは一切ありませんでした。「仮に告白をしたとしたら、きっとこういう顔をして、話が終わったらタバコを吸いに行って、深くため息を吐くのだろう」というのがはっきりと想像出来てしまって、Rさんの笑顔が大好きだったので私のせいでそんな顔をさせるのは嫌だったのです。

最初は自分で納得していたのですが、一度自覚をするとずっと押さえつけていた物が爆発するように膨れ上がって、「でも伝える訳にはいかない」と思うと苦しくなりました。苦し過ぎて「好きだって自覚しなければ良かった」と後悔もしました。

クリスマスライブの日にそれを一つ上の女の先輩に相談しました。「いっそフラレて楽になりたいけれど、そんな迷惑はかけられない」と泣きながら話しました。全部聞いてくれた先輩は、「それは伝えて良いと思う」と言いました。「ダリアは迷惑かけられないと言うけれど、あちらは先輩なのだから、そんなに苦しいなら頼って良いだろう」「ダリアが心配しているほど困ることも無く上手に対応してくれるだろう」と言われました。余程悲壮な顔をしていたのか、「案外付き合える事になるかもしれないし」と言ってくださいましたが、「それはありえない」と即答で否定したのを覚えています。

先輩に後押しされて、「迷惑かけるのは分かっているけれど、自分ではどうにも出来ないので、申し訳ないけれどフッて楽にさせて欲しい」と拗れに拗れた告白をすると決断して(今にして思えば何て迷惑な話だろうと思います)二人で話す機会を作ろうとしますが、ことごとく躱されてしまったまま、4年生の追い出しコンサートの日が来てしまいました。Rさん含め4年生がみんな居なくなって、彼らの演奏をもう聴けなくなってしまう事が凄く寂しかったのを覚えています。打ち上げが終って、相談した先輩の家に泊まりに行くことになり、心配してくれた先輩に「結局伝えられなかったけれど、思っていたよりスッキリした気分だ」「予想よりあっさり立ち直れそう」と伝えました。先輩も「ダリアが明日から元気で居られるなら良かった」と言ってくれました。Rさんはその数年後に結婚して、結婚式の二次会に呼んでくれました。

 

で、です。Rさんの卒業を清々しい気持ちで見送って、爽やかに失恋してお終い……と思っていた私が甘かった。今までの人生で一番惨めな思いをする出来事が発生します。

中学生の頃に男子から「からかっておもちゃにして良い対象」だと思われていたと書きましたが、サークルでも(主にハラスメントスレスレというかアウトのイジりをする先輩二人。以下、SさんとAさんとします)にもそう思われていたらしく、Rさんの名前を出して私をからかう様になりました。今まさに失恋から立ち直ろうとしているタイミングで!ですよ。中学生かよ…(›´÷`‹ )

「いつか耐え切れなくて泣きだすから、お願いだからその前にやめてくれ」と何度も懇願したのですが、「俺女の子泣かすの好きだからやめない」と聞き入れられる筈もなく。部室に遊びに行ってはイジられ(イジるという言葉を使って居ますが、今にして思えば相当悪質ないじめだと思います)、耐え切れなくなってトイレの個室に篭って一人で泣いて、泣きながら自宅に逃げ帰る、を何度も繰り返していました。

サークル内の恋愛なんて珍しくも何ともなかったし(女の後輩が巻き起こした修羅場ではSさんとAさんは中心人物でした)、他のみんなは冗談のネタにされる事はないのにどうして私だけこんな酷い目に遭うんだろうと本気で悩んで、本人達に訊いたりもしましたが「すべての疑問に答えが与えられると思ったら大間違いだよ」などと適当な事を言ってはぐらかされ(要は大した理由など無かったのだと思います)。先輩が頻繁にそういう事をしてみせる物だから、「ダリアをイジる時にはRさんの名前を出すのが定石」、みたいな空気になっていき、Rさんと面識が殆ど無い後輩達までRさんの名前を出して私をいじるようになりました。それは流石にアイアンクローをキメて黙らせようかと思うくらい腹が立ちましたが、私が怒れば怒るほどエスカレートするのは分かっていたので我慢しました。SさんとAさんのことを嫌いになれば済む話なのは分っていましたが、そういう多少悪質でも悪ふざけを率先するからこそムードメーカーなのは分っていましたし、当時の私には一度仲良くなりたいと思った相手を嫌いになれるだけの割り切りはありませんでした。何より、あの二人を嫌いになったらサークルの中に私の居場所は無くなる。

この頃には「私は理由もなく笑いものにされる人間なんだ」というセルフイメージが出来上がってしまい、ライブに出るどころか、部室やスタジオで楽器を練習することすら出来なくなってしまいました。

忘れもしない、大学2年の頃の追い出しコンサートの打ち上げ。Rさんが可愛がっていた人達も追い出されるため、Rさんも遊びに来てくれていました。いつものようにSさんがセクハラ混じりにふざけてきて(スカートの中に手を入れようとされました)、周囲の先輩方も面白可笑しくそれを囃し立てます。最初は笑って受け流していたのですが段々「何で歳上相手に私が大人の対応をしなければならないんだ」とイライラし始め、「今口を開いたら泣き出す」と思った私は無言でSさんの耳を引っ張ったり頭を押さえつけたりして抵抗しました。その時すでに酷い顔をしていたのでしょう、囃し立てていた先輩と目が合った時に「あ、ヤベ」という顔をされたのを覚えています。が、頭を抑えられて私の顔が見えないSさんは私が冗談でじゃれていると思ったのでしょう。「Rさーん助けてー笑」とまたRさんの名前を出して私をからかいます。隣の席でAさんとRさんが喋っているのに。

それが引き金となって、それまでずっと我慢してきた物が全部爆発してしまいました。本気で怒ったのは中学時代に虐められていた時以来でした(この時二十歳だったので、五年ぶりくらいですね)。私に脇腹を蹴られて、囃し立てていた先輩方が私を宥め始めるのを見て、ようやく私が本当に怒っていると気付いたのでしょう。「ダリアちゃんごめん」と土下座されましたが、聞き入れたくなくて顔を反らしました。そもそも謝ってる点がズレているのも明らかでしたし。「ここで泣いたり怒鳴ったりして騒ぎにしたら、それこそRさんに飛び火する、それだけは何としても避けなければ」という一心で泣きも逃げも怒鳴りも殴りもせず土下座の前に座ってあげました。が、口を開いたら絶対に泣き出すし、クズだのクソだの口汚く罵ってしまうと判断してしばらく何も言いませんでしたし、Sさんが謝ってるのも一切耳を貸しませんでした。そもそも私、小学生の頃から「謝られる」事が苦手だったんですよね。謝られたら「許さない」という選択肢を奪われるような気がして。なぜ怒らせるような事を散々されて、更に許す事を強要されなければならないんだ。

「人が空気読んで大人しくしてたらどこまでも調子に乗りやがって」「人の事を何だと思っていやがる」等いいたい事は沢山ありましたし、いっそこのまま泣きだして「女の子を泣かせるの好きなんでしょう、これで満足ですか」と責めてやろうかとも思いましたが、全部飲みこんで「何について謝っていますか」と訊いた所、「Rさんの名前を出してダリアちゃんをからかった事」と言いました。そうじゃねぇ。

他の女子部員に対してはやらないレベルのセクハラを私には平気でする事や(この時のスカートに手を入れる事だけでなく、「おっぱい触らせて」「いつになったら処女捨てるの?」程度は日常茶飯事でした)、私が悪ふざけを嫌がると面白がる事、勿論私がRさんを好きになった事を冗談のネタにしていいと思っている事も、全部ひっくるめて「私を人格のある一人の人間として尊重する気が無いこと」が屈辱的で怒っていたのです。(この時に怒っている相手はSさんだけでしたが、同様の事はAさんからもされていました)

Rさんの名前を出して私をからかう事に関しては散々やめてくれと頼んだのを聞き入れてくれなかった癖に、都合が悪くなったら謝るというのはムシが良すぎて、謝られる方が不愉快でした。

彼らにデリカシーが無いというよりは、私が彼らから「デリカシーを持って接するべき相手」だと見なされていなかったのでしょう。人権って何だっけ。

溜まっていた不満は全部ぶちまけて、Sさんから平謝りされて、当時のサークル内の長老であるSさんに土下座させているのを他の部員にあまり見られると、それはそれで後から色々言われる事になると思ったので、謝罪を聞き入れて和解しましたが、どういう話し合いをしたのかはよく覚えていません、怒りすぎて。

 それから間もなくAさんは卒業し、私はキャンパスが埼玉から都内に移って部室に出入りする事もなくなって、ようやく立ち直る事ができました。

 

ここから私の迷走と抉らせが加速します。

 

恋人が欲しい、というよりは安心できる相手が欲しい、という理由で恋活をする事を決意します。その為にまず、再度同じ様な事態に陥らないようにするにはどうしたら良いのか、原因と対策を考えます。「今度同じ様な事態に陥ったら、私は二度と恋愛という物が出来なくなる可能性がある」と思ったのです(これを人に話すとみんな「大丈夫だよ」と言うけれど、何が大丈夫なのか私には分かりませんでした)。至った結論は「どうやら友達等の目の届く所で恋愛をした場合、冗談のネタにされる人とされない人が居て、(何が違うのか分からないけれど)どうやら私は前者であるらしい」です。要するに、友達や仲間の目の届く所で恋愛しても問題ない人とやらない方がいい人がいる、という事です。

友達の目の届く所ではもう二度と恋愛はしない決意しました。その結果、新しいサークル(文芸部)に入って男友達が増えた時にも、グループワークの課題であまり話したことのない男子とグループを組んだ時にも、「この人は私の事を恋愛的な目で見てないよな…?」とビクビクするようになりました。自意識過剰なのは分かっていましたが、同じ目に遭うよりはずっとマシです。

 

じゃぁ出会いはどうやって探すのだろうかと考え、歴代彼氏がみんな社会人の友達にどういう所で出会うのかと訊いたところ、「異業種交流会」なるパーティの存在を知りました(あまり詳しくは教えたくないらしく、そういうパーティをどうやって探すのか等は教えて貰えませんでした)

文芸部にはたまに他の大学の学生が遊びに来る事があり、ある時どういう話の流れだったか、そのゲストに「そういうパーティがあるらしい」という話をした所、「私そういうの主催してるよ」と言われ。渡りに船だと思い、友達と一緒に参加する事にしました。多分5、6回参加したと思います。

交流会に参加してみて思ったのは、「こういう場に(恋愛的な)出会いを求めに来る人とは合わない」でした。テンションだけで乗り切ろうとしているのが見え見えで話してて全く楽しくありませんでした。そういう人よりも、普段の生活では知り合わない人(男女問わず)達とのお喋りを楽しみに来ている人の方が会話をしていて楽しかったです。主催者も「友達を増やす場にして欲しいのに、ウェイ系の出会い厨ばっかり常連になる(意訳)」と言って頭を悩ませていました。

交流会で素敵な出会いを探すのはコミュ障には無理があると悟り、じゃぁどうやったら恋愛ニートを脱出出来るかと頭を悩ませていた時に、次の出来事が起こります。

 

大学3年の秋頃でした。CMを作る授業で男子のみの斑の撮影に女友達(Kちゃんとしましょう)が協力する事になりました。撮影場所が男子の自宅という事で、女の子一人を行かせる訳にも行かないと思い、付き添いを申し出ました。撮影場所の自宅が駅から離れているという事で、班長の友達(Hとします)が送り迎えをしてくれる事になりました。撮影の間、私とHは別室待機という事になりましたが、喋った事もない名前もその日に知った男子と二人で待機とか、コミュ障は息苦しくなりましたよね、マジで。Hはやたらと話しかけて来るので、まぁでも沈黙するよりはマシだと思い、Kちゃんが早く戻ってくるよう念じながらHと話をしていました。私がジャズクラブのライブにちょくちょく行っていると話すと「興味あるから連れて行ってよ」という話になりました。同じ様な経緯で文芸部の先輩(男)を連れて行った事もあるので、オシャレな夜遊びしてみたいんだろうなと思い承諾しました。

この時点で下心は疑っていたし、Hという人間に一切の興味は無かったのですが、恋愛ニートを脱出する方法が分からなくて困っていたので「何度か会えば何か変わるかもしれない」「今は興味ないけどもしかしたら面白い所を見つけられるかもしれない」と思い、気乗りしないなりに頑張ってみる事にしました。ライブに連れて行って、美味しい料理を食べてコラボドリンクを飲んで、演奏を楽しんで、ファン仲間のおじさん達と一緒に騒いで、普段のライブと同じ様に楽しんで帰りました。

後日Hから連絡があり、「ダリアさんに遊びに連れて行って貰ったから、お礼に今度は俺が計画して遊びに行こう」と言われました。そこでようやくジャズクラブに興味があった訳でもない事に気づきムカっとしました。断ろうとしてもしつこく食い下がるので「一回お礼すれば気が済むんでしょ(# ゚Д゚)」と渋々了承しました。

と言うのも、大学3年の秋…つまりは研究室配属を控えている時期です。来年一年間、誰と一緒に研究する事になるかも分からない状況で雑に扱ったり邪険にして「あいつは嫌な奴だ」と噂でも流されたらたまったものじゃないと思ったのです。面倒くさいと思いつつ愛想よく穏便に済ませようとしました。そのデート(笑)も愛想笑いで乗り切りましたよ…ほっぺたの筋肉をつるかと思いました。

その日のうちに次の約束を取り付けようとして来るのですが気乗りは全くしません。適当な事を言ってその日は約束をせずに別れましたが、しつこく電話をかけてきては次はどこに行こうか、としつこく言ってきます。ここまで来れば鈍感な私でもわかります。雑誌とかに書いてある恋愛テクニック(笑)を駆使しようとしているだけだと。そしてしつこい。のらりくらりとかわしていたのですが、「話があるから食事に行かないか」と言われます。案の定交際を申し込まれまして。その場でOKを貰えると踏んでいたのでしょうね。私が渋るとしつこく食い下がって来ました。季節は11月、時刻は夜、場所はサンシャインシティの外(ビルが綺麗に見えるシチュエーションを選んだのでしょう)、日中の天気は雨。

寒いねん((((´•ω•`)))

寒さのあまり早く話を切り上げたくて「一週間待って」という事にしました。何に驚いたって、その帰りにゲームセンターの前を通り掛かった時に「プリクラを撮らないか」と言い出した事です。なんで彼氏でもない男とツーショ撮らなきゃならないんだよバカなんじゃないのかと思いました。

Hの事に関して何かと相談に乗ってもらっていたKちゃんにも相談して、やっぱりHと付き合っても楽しくなさそうだと思い、一週間待たずにHを呼び出しました。そんなに長く話すつもりは無かったので駅の外の椅子とテーブルがある場所にしました。

………まさかはっきり断られても食い下がってくるとは思わないじゃん?(白目)

デート(笑)に応じた事で脈ありだと思われたんでしょうけど、しつこくされた事でHへの関心は0どころかマイナス。何より11月の、夕方の、ビル風が吹き荒れる屋外。

寒いねん(((((# ゚Д゚)))))

 付き合っても楽しくなさそうとは流石に言えないので、「試しに何度か遊んでみたけれど、今後もあなたに対して好意を抱く事は無さそうだ」と伝えた所「じゃぁどうしたら好きになって貰えるの?」と返されました。どうあっても好きにはならねーよ(´Д`;)…とも言えず、仕方なく私が好きになれる人はどんな人かと考えた時に思い浮かべたのはやはりRさんでした。「私が好きになるのは、色んな所を見習ってこの人みたいになりたいって尊敬出来る人」と伝えた所「それって、その人みたいになれたらもう必要ないみたいじゃない?」と。殴り倒そうかと思いました。

そうやって話せば話すほど恋愛観が合わない事が判明していくのに、合わない事を分かった上で私と付き合おうとする意味が分かりません。そもそも「好きになって貰うために自分が変わる」という発想が意味不明です。プライドを買って来い。

私が折れる気はないと悟ったのか、「分かった、けど納得はしてないから」と謎の諦めない宣言をされ、その日は別れました。それからもちょくちょく長文メールや電話がかかってくるのですが全部無視しました。めんどくさいねん…。4年になってから、「公務員試験やりきって受かったし、前より成長できたと思うから一度あってくれないか」と言う旨の長文メールが来ました。意味が( ・ิω・ิ)分からない( ・ิω・ิ)( ・ิω・ิ)( ・ิω・ิ)

公務員試験に受かったから私に尊敬されると思ってんの?それってサラリーマン馬鹿にしてるよね。と思ったけど指摘したら「その誤解さえなくなれば付き合える」と思われてまた食い下がってくるだろうと思い、「お前という人間に興味はない」という旨の返事をして携帯から連絡先を消しました。

卒業後に学科の女子で飲みに行く機会がありまして、Kちゃんに「Hをフッたあと、あいつ私の事悪く言ったりしてなかった?」と聞いた所「あいつは『可愛い彼女がいる俺カッコイイ』と思いたいだけでしょwww」とわらっていました。そこまで分かってて何故私と奴の間を取り持ったんだ(頼まれて仕方なしだったのは分かっています)

 

 パーティに行ったり、合コンに行ったり、男友達が増えたり、趣味仲間のおじさん達と仲良くなったりして「人として魅力的」と思う人は沢山いましたが、「異性として魅力的」と感じる人はいませんでした。徐々に私には恋愛という物は非常に難しいと悟り始めます。

「恋愛をする為に必要なエネルギーのような物の総量は予め決まっていて、それがきっと私は極端に少なかった」

或いは

「恋愛をする為に必要な脳の機能が何かの弾み(心当たりを挙げるとしたらSさんとAさんの件)で壊れてしまった」

のどちらか何だろうな、と考えるようになりました。

この時点でアセクシャルという人達がいるという事は知っていましたが、自分がそれだとは思っていませんでした(初恋という物をしているから、恋愛感情が無い訳ではないと思っていた。セクシャリティは流動する物だという認識が無かった)

 これ以上書くと自認の話になってしまうので、それはまたの機会にします。

 

学生時代の恋愛遍歴は以上になりますが、今にして思うのは、恋愛という物が何なのかを体感した事が本当にあるのだろうか、いう疑問です。Rさんの時にも恋愛≪敬愛だったので、みんながよく言う「異性として好き」よりは「人間として好き」の方が断然強かったです。

きっとこういう話を友達にすると「相手とキスやセックスがしたいかどうか」と言われそうですが、そもそも人間として魅力を感じない、安心感がない相手に身体を触らせようとは思いませんし。

 

そんな感じで迷走は社会人になって更に加速します。

社会人編もいずれ書きますね