Twitterで見かけた怖い話についてつらつらと

お久しぶりです。ダリアです。

 

Twitterで怖いニュースが流れてきたので、そこから一人で連想ゲームした事をつらつら書いてみます。

URLドーン

https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20220629-00303189

 

記事によると200人以上の国会議員が参加してる政治団体の懇親会で配られた冊子に、「同性愛は依存症」「LGBTの自殺率の高さは個人の問題」的な、LGBTからしてみたら差別的な内容が記載されていたとの事です。

 

差別的というか前時代的というか…。そんな人達が政治やってるってマジかと思いました。日本の法律や制度は人口が増えていく時代に作られた物で、人口が減っていく現代に合っていないと思っていましたが、こんな人達が政権を握ってたらそれりゃいつまで経っても古い制度のままだわな。

人口が減っていく中でどうやって社会を成立させるかを考えるべきだと個人的には思っているのですが…そうか…自殺を個人のせいにしてしまうのか…

 

個人には異性愛だろうが同性愛だろうが、恋愛って依存的な部分はあると思っています。彼氏や夫に経済的や精神的に依存する人やパートナーを支配していないと気がすまない人達は少なからず居ます。少女漫画の片思いシーンでよくある「相手の事で頭がいっぱい」「他の事を考えられない」って完全に禁断症状じゃないですか。「パートナー以外の異性と2人で遊びに行くなんて浮気だ!」という人達の方が世の中では多数なのは承知していますが、人類の半分を相手の人間関係から排除するという思考の方が依存的かつ支配的で怖いと私は感じています。

 

自殺させないために治療等を云々とも書かれていたそうですが、それって思いっきりコンバージョンセラピーじゃないですか。海外ではコンバージョンセラピーで自殺してる若者が沢山居ると言う話は、このブログの過去記事でレビューを書いた「ある少年の告白」という映画のモノローグで出てきました。世界的にもLGBTは病気や遺伝ではないという流れになって来ているのに、どうして逆流するのか…鮭なのか…

 

私がこの記事を怖いなって思ったのは、明日は我が身と思ったからです。Aセク周辺のセクシャリティも少しずつ知られるようになって、ドラマになったりもしました。それ自体は良い事なのですが、今は同性愛者やトランスジェンダーの方々に向いている差別の矛先がAセクに向いてくる日が来かねないと思ったのです。「愛情がないなんて精神の異常だ!治療しろ!」という主張が出てきそうで怖いのです。愛情って恋愛ばかりじゃないですが、最上級の愛情=恋愛と思っている人達は多分少なく無いと思っています。

むしろ他人に依存する可能性のある恋愛とかいう感情がなくて精神的に自立していられるならその方が健全では…?などと正当化したりもしてます。

 

もう一つ記事を読んでいて気になった事があります。あの冊子が配られた政治団体っていうのは、母体が神社とかが関わってる宗教法人なのだと記事に書いてありました。ん?宗教法人??

政教分離って法律で定められてる事じゃなかったっけ?と思って調べて見たところ、どうやら憲法で定められている事らしいですね。その辺も憲法改正で変えようとしてるのかしら…何それ怖い。

 

こうなってくると選挙で代表を選んで、その代表が政治をすると言う仕組み自体に疑問が出てきます。国会議員の大半がいい歳したおじさんという時点で考えが古くなりそうですよね。特に結婚とかに関しては。

かといって、じゃあその仕組みを変えられるかと言ったら少なくとも私が生きてる間には無理でしょうね…

 

結局の所、海外に行く気がない以上は自分なりに折り合いをつけて生きるしかないんだなぁ…と思うと残り数十年の人生に希望を見付けるのが難しいです…しんどいですね…

恋愛遍歴学生時代編、その後

拗らせ女の恋愛遍歴 学生時代編で登場した人達とは連絡が途絶えて居たのですが、突然Twitterリア垢のDM

Sさん「よっ!息してるか?」

川ꙨꙻꙨꙻ)!!

ライブに出られなくなって音楽から離れていた後ろめたさもあって軽音の頃の人達とは疎遠になっていたのですが。私が拗らせる発端とも言える出来事の相手のSさんからの、数年越しのDM。SさんとはRさんとの結婚式ぶりなのでたぶん7年ぶりくらい。

 

仲良くしたい気持ちはあるけどなんの用事か分かんない怖い((((;゚Д゚)))ってなりながらDMでやりとりした結果あれよあれよと飲みに行く約束になり。

 

結論から言いますと。

ゲイバーで迎えるという、人生で多分1番濃い誕生日を体験しました。

意味分からないでしょ?私も。

 

「ダリアちゃんはさ、結局Rさんの事が好きだったの?」

そこからか!!!!

 

何かもう脱力しちゃって、何年も悩んだの馬鹿らしくなっちゃいましたよね。今更怒る気も無かったから完全に終わった事と自分に前置した上で、当時の私がどう感じていたか、ブログ記事を使って見せた所

「そんな風に捉えられたとは…」

ってショック受けていたので、ちょっとスッキリしました|ョ*¯ ꒳¯) ✧

いや、私を可愛がってくれてるから悪質な悪ふざけするのは当時の私も分かってたよ。でもそれにしたってさぁ、みたいな気持ちもあって…ね☆

 

私「初恋がああいう事になっちゃったんですよ?拗らせるでしょ?」

Sさん「拗らせるねぇ…」

 

( 'ω'o[勝訴]o

 

あそこで拗らせた私は間違って無かった( -`ω-)✧って気分になれたのでそれだけで行って良かったと思いました。

で、居酒屋で酔い潰れたSさんを介抱したりしてあれよあれよと言う間にゲイバー。意味分かんない。まぁ私も酔ってたからね。

そのお店で相手してくれたスタッフさんがめっちゃくちゃ可愛くて。ライン交換したからまた遊びに行く!

 

楽しかったけどテキーラはもう飲まない!久々に悪い酔い方をした…(›´꒫`‹ )

星の王子さまのアプリ

ご無沙汰しております。ダリアです。

 

近況はTwitterに書いてるから省くとして。

最近、楽しみが増えました。ズバリ。手紙。

匿名でチャットできる星の王子さまのアプリあるじゃないですか。あれでつながった方たちと手紙でやり取りさせていただいてるんだけど、レターセット選んだり、ペンはどれを使おうかなとか考えたり、シーリングスタンプを押したり、手紙を送るだけでこんなにQOLが上がるとは思いませんでした。手紙を書くためにちょっといいペンが欲しくなっているけど、そうやって欲しくなった物を全部買うと物が際限なく増えるから今は我慢してます。どうしても欲しくなったら買うかも。文房具集めるの楽しい。可愛い切手を買う事を覚えた。字の汚さがコンプレックスなんだけど、手書きの楽しさに目覚めたので、ユーキャンの何年かしたらペン字講座とか始めるかもしれない。

DMとかLINEでリアルタイムでやりとり出来る時代にわざわざ手紙…と思っていたけど、出してから返事を待つ間も結構わくわく出来て、おかげでポストを見る習慣がついて、公共料金の請求書がポストで埋もれる事が減りました。

 

もう一つ星の王子さまアプリであった出来事でテンション上がったことがあります。「明日都内でお茶出来る人いませんか?」みたいな投稿を見かけまして。引きこもりでメンタルが落ち込み気味だったこともあって、性別が女性であることを確認したうえで「私でよければご一緒しますよ~」と返事を送りました。外出する機会を作らないと気が滅入っていく一方だと思ったのです。危ないのは分かっていたけど、二人きりにならなければいいかなーと。

結果、意気投合しましたよね。待ち合わせ場所に現れたのは綺麗なピンクの髪の毛のロリータさん。やる気ないTシャツとズボンで隣に並んで申し訳ない気分になりました笑。その時に着ていた後ろに羽が生えたスカートは自分で作ったらしくて。服飾系の学校に通っている学生さんで、課題で作成した服の撮影をさせてもらう約束をしました。ポートレートの練習ができるので楽しみです、

一緒に原宿にも行ってロリータ服のお店を中心にウィンドウショッピング…のつもりが散在…。久しぶりにかわいいものに触れたら欲しくなっちゃって…。黒パーカーは良いとして、ワンピースは思いとどまるべきだったかもしれない…試着できない古着屋さんで買ったから家で着てみたら、顔が、浮く!日焼けした肌の色との相性も最悪でした…でも柄とか素材感は可愛いから、しばらくしてもう一回着てみて、やっぱりだめだったらスカートに改造します。

1年近くぶりに「ジャニーズかわいい」を吸収したらテンションおかしくなって、「せめてもう少しマシになろう」と思って服を8着通販し、「あの子のピアスたくさんの耳可愛かったなー…」と思い軟骨ピアスを病院で開ける予約をし…散在しすぎたけど、テンション上がったからいい金の使い方だったと思ってます。

 

引きこもりニート再びなので、メンタルが下がらないようにQOLをあげる方法を模索しつつ、今回はこの辺でおしまいにします。

こんなとっ散らかったブログ書いてる人間が手紙とか信じられないでしょ?私も。

就労移行支援事業所 roots川崎について

お久しぶりです。ダリアです。

 

現在通っている就労移行支援事業所から「ここの情報をダリアさん目線で発信してほしい」と言われたは良いけど何を発信したら良いのか分からんのでブログに書いてみようと思います。

 

私が通っているのは川崎市にあるroots川崎 https://www.xn--fdk7cd2e.com/ という就労移行支援事業所です。rootsは他に新宿四ツ谷、横浜関内、千葉市に事業所があります。

IT、デザイン、事務のカリキュラムに沿って職業訓練を行っています。(私はRuby on  Railsの勉強を行っていて、デザインの訓練は受けていません)

Ruby on  Railsの他にもPythonやHTML,Jacascript等のプログラミング言語の他、illustratorPhotoshop等のAdobeのソフトを使ってのデザインの勉強もできます。Adobeはアカウントの値段が高いので訓練所のPCで練習させてもらえるのはデザインの仕事に就きたい人にはありがたい事だろうなと思っています。

HTML,CSSillustratorPhotoshopも未経験から始めて、Lineのスタンプを作成できるくらいまで上達し、自作のHPで公開している方もいます。

 

環境としては、机は十分に広く(私はノートPCとiPadと書籍とノートを広げるという阿呆みたいに広く使うことがありますw)毎日掃除をしているため清潔で、非常に過ごしやすいです。駅からもハローワークから近いのも有難いですね~。

 

ここからは個人的な見解です。

 

私のように元々IT系の仕事をしていて、rootsに来る人も居れば、全くの未経験でrootsでHTMLやRubyの勉強を始める利用者もいます。未経験の方も学習サイトを利用して入門から学習を始めます。

実務経験はないけれどプログラミングの勉強を独自でしていてITの仕事に就きたいと思って就活していた方も居て、彼はそれを叶えましたが相当な苦労があった事は本人からも周囲からも聞いています。

 

個人的にroots川崎の特徴は良くも悪くも個人訓練がメインな所だと思っています。私の様にITや、他の方の様にデザインの実務経験がある方はそれを磨けるし、経験がなくても新たなスキルとしてそれらを勉強している方もいます。自分のスキルレベルに合わせた勉強をじっくりできる事だと捉えています。

何度か体験で行った他の就労移行支援事業所は講座やみんなで手を動かす軽作業などの訓練がメインで、私には物足りませんでした。

「良くも悪くも」と書いたのは、それが「個別訓練」である事です。スタッフが見回って手を差し伸べてくれる形ではないので、主体的に訓練に取り組む姿勢が無いと、伸びていかないと感じています。訓練の内容も自分で決められて、訓練所のカリキュラムに沿って行っている人もいれば、「この資格を取る」と自分で決めて勉強している人もいます。PCをあまり使用しない仕事をしていた方がタイピングの練習から始めて、MOSの資格取得を目指したり、ExcelVBAの勉強を一から始めた方もいます。

なんにせよ、学習意欲がない人には不向きかもしれません。

 

講座はビジネスマナーやデザイン講座、ユーザーコミュニケーション講座などがあります。いずれも和やかな雰囲気で行われます。議論形式の講座も「他の人の発言を否定しない」「割り込んで話をしない」等のルールに従って行われるため、他の人の意見を受容しつつ自分の意見も発信できます。コミュニケーション講座では簡単なボードゲームをする事もあります。

他の事業所では動画編集の講座も行っているらしいです(楽しそう)

 

事業所全体の雰囲気も和気藹々としていて、昼休みに数人でトランプで遊んだりする事もあります。お昼休みに数人で外食に行ったりもしました。

月一で訓練後に事業所のプロジェクターを借りて、ゲーム好き数人で訓練後にスマブラ会もしていました笑

 

 体調の管理も日報を中心に丁寧に行ってくれます。気分や疲労感を10段階で記録をつけることで自分の体調の良し悪しを自覚したり、スタッフ側で変化をグラフで管理したりしてくれています。

私はrootsに通い始めのころメンタルの調子が絶不調で、抑うつで起床できないことが多かったのですが、それを相談した所、当時のサービス管理責任者の方が毎日モーニングコールをかけてくれました(我ながら情けないw)

ちょっとした変化にもスタッフがすぐに気づいてくれるため、信頼関係が構築しやすいと思います。 

 

就活面での支援も手厚いです。

私は書類の添削も面接練習もサラッと終えてしまいましたが、苦労している利用者も多くいます。そういった方には自己分析を対話で深掘りしたり、何度も職務経歴書赤ペン先生している様子を見ます。赤ペン先生の指摘がめっちゃ丁寧でびっくりしました(ちなみに使用していたのは赤じゃなくて青ペンでした笑)

 さらに、就活で苦戦する方には訓練先の紹介も行っているそうです。

 就活を始める時期やペースについてもじっくり相談できて、無理のない範囲で就活できました。面接の振り返りも毎回行ってくれるので、「今回うまく話せなかった事は次からこう話そう」と改善していけます。

 

roots川崎からの手厚い支援を受けながら1年ちょっと訓練・就活を行った結果、体調も整って、無事に就職も決まりました(祝って!笑)

就職後は半年間の定着支援に入る訳ですが、会社も協力的なので安心して働けそうです。収入とか生活が安定したら皆さん遊びましょうね笑

女の子はみんな、薔薇の花嫁の様な物ですから

タイトルで作品が分かったそこのあなた、友達になりましょう(唐突)

 

前回の映画レビューを書いている最中に、ナンシー(主人公の母)の姿と別アニメの姫宮アンシーというキャラの姿が結び付いたので、今回は「男に都合の良い女性像」について書いてみます。胸糞悪くなる可能性があるので、何か引っかかりを覚えたら読むのを中断してください。

 

姫宮アンシーとは、少女革命ウテナというアニメに登場するキャラです。

 

前回の映画の中のナンシーの「あの夜(主人公が同性愛を矯正する施設に通う事が決まった夜)男達だけで話をして、男達だけで全て決めてしまった」という旨のセリフがありました。該当のシーンではナンシーはずっと泣きながら「きっと何とかなるわ」と主人公を慰めるだけでした。

 

序盤と後半でナンシーの振る舞いが変わってきた事について書きましたが、それを比べていた時に私の頭の中で序盤のナンシーと姫宮アンシーの姿が重なりました。

 

姫宮アンシーはアニメの中で「薔薇の花嫁」という役割を担い、勝ち抜き式のゲームの勝者に所有されるという設定です。

 

アンシーは主体性が無く、感情を見せず、所有者に何をされても何も言いません。完全に「所有物」として振る舞います。掃除は出来るけど料理は出来ない、勉強も運動も出来ない、薔薇の世話しか取り柄のない少女として描かれます。

薔薇の花嫁のこの「所有者が居なければ何も出来ない」という姿は、「男に従わなければ生きていけない女性像」つまりは「男に都合の良い女性像」だと私は解釈しています。

 

ある登場人物の父親が再婚した事を電話で連絡を受けるシーンで、電話を代わろうとした父親に対して「良いですよ、いきなり新しい母親なんておこがましいでしょう」と答える女性が薔薇の花嫁の姿をしているのは、「薔薇の花嫁の様な女性」と再婚した、という事だと解釈しています。

 

「男達の相談・決定に一切口を出さずに従うナンシーの姿」が「所有者に服従し、所有者の望む事しか言わないアンシー」と重なったのです。

 

男女同権が叫ばれる様になって随分経ちますが、この「薔薇の花嫁の様な女性」「薔薇の花嫁を求める男性」はまだまだ多いと思っています。DV夫と離婚しない女性なんかは典型です。勿論そんな男性ばかりとは思いませんが、一定数いるのは確かです。恋人の事を「俺の女」と表現する人が私は嫌いです。「俺の女」と言う言葉に「自分に従属する女」というニュアンスを感じます。結婚した大抵のカップルは女性が男性の苗字に変わりますが、あれも「男性ありきの嫁」みたいな感じがして正直気に入りません。

 

モラハラ気質の男性が「薔薇の花嫁」の様な女性を求め、「薔薇の花嫁」の様な女性がいるのは昔の家長制度の精神が日本人に根強く染みついているからだと私は考えています。「男は外で働き、女は家を守る」というステレオタイプです。「男を立てる」という言葉もここから来ていると考えています。

 

「女の子はみんな薔薇の花嫁のようなもの」というアンシーの台詞は、「男に従属するのが、女に求められる性役割」と言う意味私は認識しています。映画序盤のナンシーですね。

 

アニメをリアルタイムで観ていた頃から「ウテナのようになりたい」と思っていた私からしてみてたら腹立たしさしか感じませんが、そういう女性を求める男性が一定数いるのも、そういう役割を自ら求める女性が居るのも確かです。

 

男女同権には程遠いですね…(雑な纏め)

【レビュー】ある少年の告白

今回は映画のレビューをします。人物軸をメインで語ります。

 

【観ようと思ったきっかけ】

この映画の事を知ったのはテレビの映画紹介のコーナーでした。あらすじを見て真っ先に思ったのは「他人事じゃねぇ」でした。概要は下に書きますが、「もし私が主人公だったら、もし私が生きているのが日本じゃなかったら、彼と同じように施設に入っていたかもしれない」と思ったのです。というのも私の母の実家はそこそこ古い家系なせいか、祖父がかなり古風な考え方の人で、母も少なからずその影響を受けているからです。どのくらい古風かと言うと、祖父の弟が結婚する時に祖父は「年上女房なんてとんでもない」と言い放ったらしいです。我々のたった二世代前です。映画の主人公にとって最大のキーマンが牧師の父であるなら、私にとっての祖父と母だったのだろうと思います。

ちなみにこの映画はR12なのに、この後のコーナーで紹介されていた、性行為に直結するワードが飛び交う海外ドラマは全年齢なのは今でも納得してません。

 

以下の感想は、なるべく登場人物の事を思い出しながら書きますが、横文字の名前が苦手なので名前を最後まで覚えられなかった人物もいます。

以下、ネタバレを多く含むレビューなのでワンクッション入れます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【概要】

一言で言うと、「同性愛を両親に打ち明けた主人公が、LGBTQの矯正施設に入れられる」という実話です。

ストーリーは施設に入った主人公が受講するプログラムの内容と、入所に到るまでの経緯が交互に出ます。こういう過去と現在が入り乱れたストーリーの進め方は私は小説を書く時には好んでやります。なるほどこういう風に見えるのかと最初は混乱しましたが、ストーリー の真相を過去に持ってきたい場合には有効なのだと思いました。

 

【同性愛の矯正施設とプログラムについて】

映画内に出てくる施設では最初に12日通所し、長期の治療が必要だと判断された場合は泊まり込みの期治療施設(家と呼ばれる)に移されます。教官やスタッフもこの施設の卒業生だそうです。受講生は中にいる間は携帯電話やメモは持ち込めず、プログラムの内容を口外しないように厳しく指導されます。トイレもスタッフの付き添いが必要です。

主人公ジャレッドがここに入った初日に行った事は「家系図を書き出し、親族の罪を列挙すること」です。所長サイクス曰く「問題には必ず原因がある。原因を認識し自身と切り離すことで罪を自分の外に出す」との事です。ここで言う罪とは同性愛、アルコール依存、喫煙、ドラッグ、DV、中絶などで、犯罪に限りません。最初に言われた「君達がここに来たのは、君達の選択の結果だ」といきなり矛盾している気もします。おそらく「(同性愛という)罪を犯すという選択をする弱さの原因は親兄弟の罪だ」という考えなのでしょう。

プログラムは教会を模した部屋で行われます。受講生は日替わりで前に立たされ、自身の犯した同性愛の罪を告白し「この試練を与えた神に感謝します、なぜならここに来ることが出来たからです」と述べます。

同性愛という試練に負け罪を犯したことを懺悔し、克服する事がこの施設の目的だと解釈しています。

 

【観終わって思ったこと】

「この映画を観ようと思った人達は何を思ったのだろう」「観終わってどう感じたのだろう」

 

【観ながら思った事】

一言で言うと「あぁやっぱりか」でした。映画の内容を聞いた時から「もし私がこの施設に入所したらどう振る舞うか」と考えていましたが、想像の通りになりました。

 

【ジャレッド】

主人公です。映画は彼の幼少期の写真や高校時代の家族とガールフレンドと如何に円満な人間関係を築いて来たかを見せる所から始まります。この時点で彼にシンクロMAX。ガールフレンドと家族ぐるみの人間関係になっているというのがさらに厄介です。

女性に対して性的な興奮を感じられない事に疑問を感じていた彼は、大学の寮での事件をきっかけに矯正施設への入所を決断させられます。「決断させられる」という言い方を選んだのは、あの状況で頷く以外の選択肢は無かったと思うからです。この決断のシーンが苦しくて仕方なかったです。本意ではない形で両親に自身がゲイであると打ち明けざるを得ない状況に追い込まれますが、このシーンでは彼はまだ自分が同性愛者である(かもしれない)事にうまく向き合え切れていなかったのだろうと考えています。だってまだ彼は19歳だし。後から出てくる回想のシーンでも彼はずっと不安そうに眉間にシワを寄せています。

 

【サラ】

矯正施設にいた女性。小柄でいつも肩に力を入れてオドオドしている姿が印象的でした。教会のような背景で舞台に立たされ、女性との性行為について具体的に語ることを強要される彼女は「そこまでする必要ある?」と思うくらい、やめてあげて欲しかったです。「女性性を取り除くため」なのか何なのか、豪速球を浴びせられて腰をぬかして震える彼女を思い出すと「あの世界観で女性に求められる性役割とは」と首を傾げます。少なくとも彼女のように「頼りなさげに震える姿」は求められていないのでしょう。彼女は「長期的な治療が必要」と判断され、家に移されます。

サラとジャレッドの母ナンシーの姿を対比して考えると、「あの世界観で求められる女性像」が具体化する気がします。おそらくあの世界観における理想的な女性像とは序盤のナンシーのように「男性に従属する姿」であり、サラのような「弱々しさ」は求められていなかったのだろうと推測します。

 

【眉間に傷のある彼】

全員が教官と握手をする中で、彼だけは敬礼で返します。曰く「触れ合わないようにしている」とのこと。施設にはいるのは2回目で、ジャレッドに事あるごとに忠告をします。施設内では必要以上の訓練生同士の接触は禁止事項です。そんな彼がジャレッドを呼び止めるために腕を掴んだシーンがスローになる演出が、ジャレッドの行動が如何に考えなしで、問題のある行動だったかを訴えているように感じました。彼はジャレッドに、家に行って欲しく欲しくなかったのでしょう。

 

【矯正施設卒業生の教官】

一列に立たせた訓練生に彼は怒鳴ります。「出来るようになるまで、出来るフリをしろ」自分もそうやって同性愛を「治療」したと繰り返して言います。男らしく振る舞う為の姿勢を指導します。男らしい立ち姿、男らしい表情。訓練生を一列に並べてサラに「男らしいと思う順に並べろ」という指導が意味不明すぎて「拷問かな?」と思いました。

 

【大学のカウンセラー】

彼女が登場したのはワンシーンだけの完全なるモブキャラだと思いますが、私の印象に残ったのは彼女が「どちらとも言い難い」立ち位置だったからでしょう。私はキャリアコンサルタントの勉強をした事があるので即座に理解しましたが、カウンセラーと言うのはカウンセリングの相手に深入り出来ないのです。あくまで公正な立場で第三者で居なくてはなりません。

彼女はジャレッドの父マーシャルからジャレッドの血液検査を依頼されます。彼女がジャレッドに語った「私は敬虔なキリスト教信者であると同時に医学を修めた者です」という立場はバランスの取り方が難しいと思います。「信者としての私は同性愛を否定しなければならない」「医師として私には、同性愛を否定する科学的根拠はない」の2つは少なくともジャレッドが抱えている問題については両立できません。だから彼女はジャレッドの血液検査はせずに「あなたは健康な思春期の男性よ」と言いはしたものの、それ以上の干渉は出来なかったのだと思います。

 

【キャメロン】

プログラム受講生の1人。個人的にこの映画で一番可哀想なのは彼だと思っています。彼は自身が犯した同性愛の罪を告白した際にサイクスに厳しく追求されます。「君はここに君を入れた父親に怒っているという。だがその怒りが感じられない」と。どんなの追求されても言葉が出て来ず項垂れるキャメロンにサイクスは「そこで1日考えていろ」と怒鳴ってその日は終わります。その翌日にジャレッドが施設に入ると、葬式の様な異様な雰囲気になっていました。「今日は悲しいお知らせがある」と壇上で語るサイクスの前には革製の棺桶のような箱があり、その後ろにキャメロンが座らされます。キャメロンは結局サイクスを満足させる言葉が言えなかったのでしょう。蹲ったキャメロンの背中に向けて「彼は自分の中の悪魔に打ち勝つ事は出来なかった。だから私はこうして彼の中から悪魔を叩きださねばならない」と言いながら聖書を振り下ろしました。「他に、彼の悪魔を叩き出す者は居ないか」とサイクスが受講生達に呼びかけた時に手を挙げたのは、眉間に傷のある彼でした。誰もやりたくない事を買って出たのです。その後幼い妹や両親も泣きながらキャメロンの背中を聖書で殴ります。バスタブに押し込まれているシーンもあったので水責めじみた事もされたのでしょう。

ジャレッドは施設を出た後に彼が自殺したと知らされます。

 

【マーシャル】

ジャレッドの父。車の販売店の責任者で、日曜日は協会で牧師をしています。ジャレッドが同性愛を打ち明けた際、彼は自宅に2人の男性を呼びます。この問題に詳しいという男性と、協会での「長老」にあたる男性だそうです。前者の男性は親族に施設で同性愛を「治療」した人がいるのではないかと推測しています。男性2人と話し合った後ジャレッドに「今日はもう疲れただろうから1つだけ答えて今日はもう寝なさい」と前置きして「本当に改善する気があるか」と問います。その隣ではナンシーが泣き崩れています。この状況でNoと言うのは無理だと思います。

ジャレッドが泣きながら施設を飛び出して来た際も、彼は施設に戻るように言います。

ジャレッドが真剣に重要な事を尋ねる度に、考え込んで違う話をする彼が腹立たしかったです。マーシャルは敬虔な信者であるがゆえに、自分と同じように立派なキリスト教信者になるよう育てた息子が同性愛者だという事を最後まで受け入れきれなかったのでしょう。

最後のシーンで彼がジャレッドに向かって「孫を抱く事ができないことを恨んだ事もある」と言ったシーンは怒りを覚えました。

 

【ナンシー】

ジャレッドの母。ジャレッドが同性愛を打ち明けた夜に悲壮な表情で涙を流していました。息子の同性愛者という罪とどう向き合えばいいのか分からなかったのでしょう。男達が話し合い、ジャレッドを施設に送り出す事が決まる間、彼女は一言も口をききませんでした。

彼女はジャレッドが通所している間にプログラムの内容を話さない事、親族の「罪」を聞かれた事、ジャレッドの表情から「治療」について疑問を抱き始めます。ジャレッドから「今すぐ迎えに来て」と電話を受け取った彼女はジャレッドを引き渡すまいとするサイクスに対して「恥知らず」と怒鳴りつけます。彼女は毎週通っていた教会にも行かなくなりました。神の言う「異性と結ばれなければならない」という思想に疑問を持つようになったのでしょう。「夫のことは愛しているし、神の事も愛している。けれど息子の事も愛している」と語った彼女は「夫の事も神の事も否定しない」それとは別に「ジャレッドの心を尊重する」という立ち位置を自分で見つけたらのでしょう。

ナンシーが更生プログラムに疑問を持たなかったら、きっとジャレッドはきっと「家」に移されてさらに過酷な更生プログラムを受けることになったでしょう。

 

【サイクス】

矯正施設の所長。初日にジャレッドから預かったノートに書いていある小説のメモを破り取りました。大学のレポート用に書いていていた少年と少女の恋愛の話です。後にジャレッドと面談をする際にそのメモを見せて「これは少年と少女の話か?」「本当はこれは少年同士を想像して書いたんじゃないか」とジャレッドを問い詰めます。ジャレッドは何度も「ただの創作だ」と答えますが最後まで納得しませんでした。

ジャレッドが罪の告白をする日にも厳しい口調で問い詰めます。ジャレッドの告白の内容は「同性に一目惚れをし、2人で手を繋いで一晩眠った」というものでした。「それだけじゃないはずだ」「君はまだ隠し事をしている」要するに、同性愛者が恋愛関係になったのなら性的な関係になったに違いない、という事です。これは恐らく異性愛者から見た同性愛者への偏見なのだと思いました。例えば男性が同性愛を友人に打ち明けた際に「ヤベー、掘られるw」などと言われて不快な思いをしたという話はよく聞きます。腐女子に対して「ネタにされるww」と冗談を返す男性と似たものを感じます。極端な言い方をしますが「同性愛者は性的嗜好が倒錯してるのだから、須く淫らである」という偏見なのだと思います。

喫煙は罪だと厳しく指導しているサイクスが喫煙しているところを目撃したことでジャレッドの「治療」への疑問は加速します。

 

【エンディングについて】

ジャレッドがこの体験をネット記事に掲載した事で実態が暴かれます。ジャレッドは執筆に専念する為に親元を離れる事にしますが、その時までマーシャルはジャレッドが同性愛者である事実と向き合いきれていませんでした。「あの夜(ジャレッドが同性愛を打ち明けた時)、私は牧師として正しい行動をしたと思っている。長老と有識者を呼び意見を仰いだ」と言いながら、ジャレッドに答えにくい質問をされるとしばらく黙り込んだ後に話を逸らします。映画自体はジャレッドとマーシャルが別れたところで終わりますが、最後にジャレッドとマーシャルが抱き合っている写真が出てきます。お互いに理解出来ないなりに歩み寄りをして和解したのだろうと思っています。

ノローグで現在も大勢の若者が「治療」の影響を受けている、筆者は彼らのために活動をしていると表示されます。最後に「実際のサイクスは現在は夫と暮らしている」と表示されて終わりました。サイクスも「治療」を受け、「克服出来るまで克服したフリをしていた」という事なのでしょう。

 

セクシャルマイノリティは罪なのか】

サイクスがホワイトボードにベン図を書きながらLGBTの説明をしているシーンで気になった事あがります。一瞬画面に映ったベン図ではLGBとTを区別していました。つまり恋愛志向と性別自認についてはきちんと区別した上で「性的マイノリティは罪だ」と指導していたのだと解釈しています。

心と体の性別が一致しない事は罪なのでしょうか?私が女性の服装も男性の服装も着たいと思うのは罪なのでしょうか?でしたら最近メディアで見かけるようになった「ジェンダーレス」という人達は罪なのでしょうか?では、結果的に異性と結婚したバイセクシャルの人は?

そういう人よりも、小児性愛や死体性愛(ネクロフィリア)やライヒェンシェンドゥング(屍姦症)の方が余程罪深いと思うのは私だけではないはずです。

 

【治療について】

この映画で取り上げられたような、同性愛を「治療」する事を「コンバージョンセラピー」と呼ぶそうです。会話療法や嫌悪療法、場合によっては暴力を用いてヘテロジェンダーに作り変えます。中国では頭に電気を流して治療するなんていう恐ろしい事をしている場所もあるそうです。

私がこの映画を知った時に「他人事じゃない」と思ったのは「アロマンティックという概念が広く知られる様になったら、アロマンティックはコンバートされるべきだという主張が出てくるのではないか」と思ったからです。世の中には少女漫画を筆頭に恋愛に関するコンテンツが溢れています。「少女は年頃になったら同じ年頃の男性に恋をして困難を乗り越えて結ばれるものだ」と刷り込まれます。実際に私の周りの女の子達も同級生や先輩に「恋」をする様になりました。エロシーンのある漫画を回し読みして居ました。

「異性と恋愛をする」というのはそういうコンテンツや周囲の雰囲気からの刷り込みなのではないかと私は思っています。大多数がそうであるから「それ」が普通で、そうでない人は「そう」である様にコンバートされるべきという思想なのだと思います(実際に恋愛をしていないという理由で同級生から無視をされた事があります)

 

【まとめ】

日本でもLGBTという単語は少しずつ知れらるようになりましたが、我々アロマンティック、アセクシャルという存在が周知・理解されるのは当分先のことだろうと個人的に予想しています。それまで我々は恋愛至上主義の社会で半ば隠れる様に過ごさねばならないのか、と億劫になったります。

ナンシーの事と女性の性役割について考えていたら、別のアニメ作品と結び付いた部分があったので、それもそのうち記事にします。

 

これにて、今回のレビューは終わります。

思いついたままに書きなぐったので読みづらい部分もあったでしょう。最後までお付き合いいただきありがとうございます。

男友達との出来事

おっさん社会の記事で「人間としての私<女としての私」という見做され方について書いている途中で思い出したお話を書きます。

恋愛遍歴・社会人編に一言だけ書いた、数年前に男友達(Oとします)に交際を申し入れられた話です。なぜこれを書こうと思ったかと言うと、この時が一番真剣に異性と交際する事について考えたからです。

結局交際はしませんでしたけど、Oとは今でも友達です。当時と変わらず二人でフラっと遊びに行ったりします。

 

Oとは大学時代の文芸部で知り合いました。大学3年の春ですね。Oにはその時から交際している女性(Sさんとしましょう)がいたので、かなり早い段階で私の中で「人としての私<女としての私」疑惑はなくなりました(最初は結構強くありました)。

共通の趣味が多い男友達として、毎週サークル活動の後にみんなで飲みに行っていました。

Sさんは2回だけ文芸部に遊びに来たことがあったのですが非常に精神的に不安定な時期だった事もあり、飲み会の途中でも何か不安な事があったのでしょう、泣きながら過呼吸を起こしていた覚えがあります。当時のOはそんなSさんが、そんな状態でも自分に頼ろうとしない事が負担になっていたらしく、自分から愚痴を言わないタイプなのですが珍しくボヤいていました。

Sさんの不安定な面を知っていて、かつ殆ど話した事がない、愚痴を言いやすい立場が私なのだろうと思い(今にして思えばとんだ思い上がりです)、大学を卒業した後も度々二人で飲みに行っては近況を聞いていました。たまにデトックスしないと共倒れしてしまうんじゃないかと心配だったのです。

 

社会人になって何年かして、Oと二人で飲みに行った時に別れを考えていると言われました。「その後のSさんが心配ではあるけど、それで良いと思う」と言うと「このままSと結婚して子供を育てるとか考えられない」と伝えると言っていました。「とうとうこうなったか…」「むしろ今までよく保って来られたな」と言うのが私の感想でした。

その暫く後に私が東京に用事があって行った際に、「Sと付き合っていたから付き合いたいとかは無かったけど、好いなと思う女の子は何人かいた」「その中にダリアも入ってるよ」と言われました。「このタイミングでこれを話すのは…まさか…?」とこの辺で妙な流れを察知したのですが、変な自意識が働き「いやいや待て待て。過去形で話されてるぞ私」と自分で否定しました。正直それを話されてどういうリアクションを求められてるのか分からなくて混乱していたのもあります。あと、友達から「女性」としても見られていた事に少なからずショックを受けていて、どういう言葉を返すかまで気が回りませんでした。「お、おう…」と頷くしかありません。

 

その日だったか、その後だったかは覚えていませんが、「Sと別れたらダリアに告白しようと思ってるから、考えておいて」的な告白を受けます。何を考えたら良いの!?大混乱が始まります。別れ際に「理由を話しておくと、一番はダリアと付き合うのは楽しそうだからだな」とも言われました。「今苦労している分、楽しい方向に思考が偏ってるんじゃないかなぁ…」と思いましたが流石に口にはしませんでした。

 

そこから数日、ラインでやりとりをしながらSさんとの別れ話の進捗を聞いたしつつ、交際する事に対してネガティブになる私と引き留めようとするOの攻防が始まります。この時はまだアセクを自認しておらず、どうにかして恋愛ニートを脱出したいと悩んでいるタイミングでした。

一番最初に伝えたのは、「(友達<異性だとは思わないけど)異性という目を向けられていた事がショックだった」という事です。そう思われていないと思っていたからこそ、した話や見せた態度だってあったのに、と。すぐに謝ってくれました。謝るような事じゃないのに…。やりとりを始めた数日後にSさんと別れる方向で話は纏まったと聞きました。

 

Oと交際することについて考えた時に一番最初に考えたのは、友達では居られなくなってしまうのだろうか、です。仮に交際して別れる事になったら、元通りの友達にはなれないかもしれないと思ったのです。(元交際相手とは友達には戻れない、という人は沢山居ますし。) 

「どういう結果になったとしても、この話がきっかけで友達で居られなくなったら嫌だ」と伝えた所「俺も嫌だ」と言われました。身勝手だとは思うけれど「仮に付き合って上手く行かなくて別れる事になったとしても、友達では居たい」と伝えた所「俺は頼んでる側だから言えないけど、そうしてくれるなら俺もそうしたい」と言われました。「部活やサークルを抜きにして、個人でこんなに仲良くなったのはダリアが初めてかもしれない」とも言われて、そこまでの友人を失う覚悟で交際したいと言い出したのだと思ったら、「これは『考えるのが億劫になった』みたいな雑な理由で断る訳にはいかないな」と腹を括りました。

 

恋愛ニートするいい機会だと分かった上で、更に人間としてかなり好きな部類に入るOと交際する事を躊躇した理由は大きく2つあります。「交際して恋人になったとしても、Oに対する感情が変わるとは思えない」「Oから性愛を向けられて耐えられる気がしない」の2つです 。それぞれについて書いていきます。

 

1つめ「Oに対する感情が変わると思えない」要するに「Oに恋愛感情を抱く自信がない」という事です。Oとは何度も二人で遊んで飲みにも行っていました。第三者から見たらカップルなのだろうけれど、私にとっては女友達や趣味仲間のおじさんと遊ぶのと変わりません。Oとデートする事を想定しても、想像の中の私の感情や行動はそれまでと同じでした。正直Oとは「交際して結婚して家族になる」妄想よりも「お互いに別のパートナーと結婚して、家族ぐるみの付き合いが続いてホームパーティーなんかを開く」妄想のほうがし易かったのもあります。

Oに「付き合ったとしたら、上手くいくとは思う。長続きして結婚に至る可能性だってあると思う。けれどあなたに対して恋を出来る自信がない」と伝えたところ、「それは(ダリアの感情を)恋にしてみたい」と言われました。Oの勝負好きな性格がよく出てるなぁと思いました。

どういう流れだったかは忘れましたが「俺のものにしたいとは思わない」「けれど(ダリアが)他の人のものになるのは凄く嫌だと思う」と言われました。「交際する=(気持ちが)誰かのもの」というのが理解出来ないと言うと「これは男特有だから」と言われたので深く考えることはやめました。これを聞いて「(仮にOと交際して)私が恋愛感情を抱けたら喜ぶだろうけれど、抱けなかったとしても、Oがそれを不満に思うことはないだろう」と(勝手に)判断しました。なので「交際してもOに対する感情が変わらないかもしれない」問題は、保留にして交際するに対する検討を進める事にしました。

 

そこでブチ当たったのが、2つめの「性愛を向けられる事に耐えられる気がしない」問題です。

いきなりこれを考えるのもどうかと思ったけど、交際していて肉体的接触をしない理由が見当たらなかったので、避けられないだろうなの思ったのです。セックスどころか、キスを想像するだけで「無理いいいい」ってなりました。友達に全裸見せるの!?いやいやまてまてと。キスどころか手を繋ぐ想像すら正直無理でした。

私、恋人が出来たらスキンシップ多めで甘えたいタイプなのですが、Oに対してそういう甘えた姿を見せられるかというと無理の一言でした。

「性的な接触は難しい」と伝えると「俺も男だからしたいとは思うけど、ないならないで構わない」との回答が帰ってきました。………………譲歩しすぎじゃね?本当に良いのか?とは思いました。

 

こんな話を数日かけて繰り返し、私が出した結論は「お試し交際期間を設ける」事でした。お試しの間はキスや性的な接触は一切なし。(当時は愛知と東京だったので)遠距離恋愛という物をしてみて、私がそれを続けても良いと思えたら本当の交際に入る、という物です。

 

それを伝えようとした日にOに通話で言われたことは「Sとヨリを戻す事になった」「人の命には代えられない」とのことでした。

 

ふぁ!?(  Д ) ⊙ ⊙

 

なんでも、Sさんが「ヨリ戻してくれないと飛び降りる」という旨のことを言い出したらしく。自傷癖があった時期もあるから洒落にならないとの事です。Oの中では結論は出ている様子だったし、確かに人の命には代えられないので、お試し交際しようかと思っていた事は黙りました。

 

現在Oは、精神的にかなり回復・安定したSさんと結婚し、子供も生まれました。会う度に「娘が可愛いテロ」をしてきます笑

結婚後も面白そうなイベントがあると二人でふらっと遊びに行っているので、本当いい友達をもったなぁとしみじみ思います。

 

婚活で悩むようになってから、たまにこの出来事を振り返るのですが、それで思うのは「もったいない事をしたかなぁ…笑」です。

Oと交際していたら、そのまま友情結婚の可能性だってあったのではないかと思うのです。ただSさんが自殺を仄めかした時点で即別れたとは思いますが。そういう意味ではOに「せっかくダリアと付き合えたのに」と思わせなかっただけマシかなと思っています。とはいえ、あこがれの友情結婚の可能性を逃した…と思うと残念な気持ちも少しあります。

 

次に同じ様な事があったら、もっと早くに「お試し交際」の結論を出そうと思います。問題はそのタイミングが訪れるかどうかですね笑